大河内 敦の裏blog(番外編)

広告会社に勤める一級建築士の断食経験とその後。

12月12日 ツアー三日目

今日は、昔上司だった方のお墓参りである。奥様が私のお願いを受け入れてくださり、実現した。

この元上司は、わが社が誇るスター・イベント・プロジェクト・プロデューサーだった。つくば万博で全民間パビリオンの70%を獲得することが出来たのはこの方の功績である。あるクライアントの競合プレゼンテーションで、この方がプレゼンしている最中に役員が「うちのつくば万博の担当は、おたくに決めました。」と、あとの会社のプレゼンを聞かずに決めた、という。ことごと左様に伝説の多い、スタープロデューサーだった。私が入社した時は隣の部の部長で、その後私の部の部長になり、別の部の部長になったと思ったらまた私もそこに引っ張られ、なにかと縁がありかわいがってもらった。ピエールカルダンの紺のスーツ、うすいグラデーションの入ったメガネ、いつもニコニコしていてスマート、英語を流暢に繰る姿も当時の部長としては珍しく、とにかくカッコよかった。その後パリ支社長になられた。

入社はしたもものの、ある程度商売の経験を積んだら辞めて個人事務所を開こうと考えていた私は、この方の姿を見て、そのスケールの大きい仕事をスマートにスピーディにこなす様子、インテリジェンス溢れる話しぶり、何より一度いっしょに仕事をしてみたいと思わせるそのオーラに、考えを変えた。~ この人の様になるにはどうしたらいいのか、と。その後、私は会社を辞めようと思ったことは無い。入社間もないタイミングで憧れの先輩に出会えるというのは、その後の会社生活を営む上でも極めて重要な体験である。

何度かお宅にも遊びに行かせてもらった。私が大学時代に描いた図面を持っていき、それを見て、いたく感心していただいた。後から聞くと「純粋に自分が作りたいと思っているものを、それだけを描いた図面」に、感じるものがあったらしい。 ~ 少し子供扱いされた様ににも感じたが、真剣に感心してくれてたようで、やはりありがたい話である。

今年の5月25日、あいにくの曇り空で皆既月食観察をあきらめて帰宅したら、奥様から訃報を伝える電話が入っていた。 ~ 親族だけで、戒名なし、読経なし、お好きだったジャズのCDをかけてのお別れの会だったらしい。最後までカッコいい。

で、今回のお墓参りである。広々とした公園墓地、奥様の案内でお墓に到着、小春日和の日差しのもと、無事ここまで会社を辞めずに勤め上げられたことへの感謝のお祈りをささげることが出来た。

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帰りに駅前でケーキとお茶をいただきながら、奥様とお話しをした。なんでも、夫婦喧嘩を一度もしたことが無く、病気療養中のお世話も奥様は苦に思ったことも一度も無かったらしい。

うちはカミさんが無神経で喧嘩ばっかりで、メシも作らせるとアラが気になるので自分で作り置きしたものを食べているのだ、という様な話をすると、「あなたみたいにめんどくさい性格の人には、奥さんが無神経なくらいでちょうどいいのよ。」「両方同じ様なタイプだとしんどいし、ふつうの奥さんならあなたに作らせないで、頑張って作って、でもあなたに文句言われて、言われた本人もまた文句言って、みたいに辛いことになっていく。あなたが作って、それで自分は何とも思わないくらいがいいのよ。そんな奥さんなら安心だわ。」と、われら夫婦についてコペルニクス的転回を思わせる見方。 

 ~ 確かに言われてみればそうかも、と、思えた。さすが、スター・プロデューサーの奥様。視点の広さが素晴らしい、と、感心した。その後、家に帰って無神経なカミさんとの日常に戻ったが、そんなもんかも、と、思える様になった。 ~ お墓参りも有意義だったが、奥様のこのお話しはそれに劣らず有意義だった。