大河内 敦の裏blog(番外編)

広告会社に勤める一級建築士の断食経験とその後。

12月14日 ツアー五日目

今朝は西府の施設に入所している義理のお母さまに面会に行く。コロナもあって、数年間お会いできていなかった。昨日買っておいたお花を手に横須賀線に乗り込む。途中、武蔵小杉で南武線に乗り変えるのだが、ここも最近話題になっている様にタワーマンションがバンバン建ち、集積度が高い街になっている。

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工事中の駅の中を数100m歩いて乗り換える。

昨日までとは打って変わり、小雨がパラつく寒い朝だ。面会の時間に施設に着く。事前に話をしておいたので、面会はスムースだった。お母さまも元気だった。ただ、コロナ対策だろうが玄関から中に入れてもらえず、風防室に置かれたアクリル板が置かれた対面テーブルでの面会だ。風通しを良くするため扉も開けっ放し。お母さんも寒いので、10分くらいでひきあげた。それでも、元気そうな写真を撮ってカミさんに送る。

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午後からは大学時代の恩師に面会。私が大学に通っているときから、教授として教鞭をとりながら、神宮前に自分の設計事務所を構え現役の建築家としても活躍してらっしゃった、いわゆるプロフェッサー・アーキテクトだ。日本建築学会賞受賞者、今は早稲田大学の名誉教授である。今年87才。(ちなみに数年前惜しくも火事で焼失した宍戸錠さんのご自宅は先生の設計だった。)

希望していた大学院進学が出来ず就職を考えていた時、先生が「設計事務所とかじゃなくて、広告会社とか考えてみたらどうだ。」とアドバイスをくれた。~ 最初はピンと来なかったが、帰りの電車の中で考え、降りる時には広告会社を受けることに決めていた。建築設計には無い広いフィールドで仕事ができそうだったし、何より仕事の自由度が圧倒的に高そうだったから。 ~ 実家に連絡して、リクルートスーツを用意し、文系の学生に混じって就職面接に臨んだ。さいわい、今の会社に拾ってもらえた。

その後、広告会社に勤務しながら建築士の資格を取得、店舗、ショールーム、企業博物館の様な広報施設、博覧会のパビリオン、テーマパークのアトラクション施設まで、「広告としての建築」に取り組むことになる。ロンドンオリンピックの企業パビリオンなど、個人事務所で設計をしていたらとても経験できない仕事にもたずさわれた。それもこれも、先生が広告会社への就職を勧めてくれたのがキッカケだった。~ 私の人生でのターニングポイントを作ってくれた大恩師だ。

先生の事務所に伺うのは大学4年以来で、卒業設計のエスキスを見てもらった時も今日と同じ様な冷たい雨が降る日だった。窓の外のコンクリート打ちっぱなしの壁に垂れる雨だれが作る線がきれいだと思った。こうしていると、当時の気分が思い出される。

先のお墓参りに伺った上司の方もそうだが、先生も含めて、東京でないといないタイプの方というのが確実に存在する。鋭い勘とセンス、作るもの、考え方、仕事のフィールド、生き方、都会の豊かな消費生活とインテリジェンスを背景にした"スタイル"がある。関西には無い粋なストイックさ、そしてそれは無条件にかっこいい。~ 雨だれの垂れる壁を見ながら、多分支離滅裂なことを喋っていたであろう大学生の私に、先生はリートフェルトの椅子に座って、全てをくみ取ったうえでいつも的確なアドバイスをくれた。

広告会社で建築に取り組んでの一番の違いは「時間」に対する取り組みだった。普通、建築設計と言うのは「空間」の構成に重きが置かれる。しかし、広告としての建築はもっとイベント的なもので、その施設を入った来場者にスポンサーないし商品に好意的なイメージを持ってもらうことを目標としている。勢い、プログラムは時系列化され、カスタマージャーニーと言われる態度変容を目論んだ演出が、建物の導線や滞在時間にそって展開される。つまり順序があるのだ。そして、そこでは通常の建築には無い数々の演出手法が採用される。映像、音響、照明、ぴったりの商品推奨のための双方向の診断システムやVRなんてのもあるし、アテンダントの接遇やコスチュームイメージなんかもその演出イメージに大きくかかわってくる。それらを統合し、来場者に提供される体験設計が求められる。広告会社に就職しなければ持てなかった視座だ。

こういった知見を得るきっかけを作ってくれた先生には今回のツアーで真っ先にお礼を言わねばならないと思っていた。本当に感謝している。別れ際、ガッシリと握手をしてくれた。 ~ 「やりがいのある仕事に、これからも取り組め」と。

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先生、いつまでもお元気でいてください。