大河内 敦の裏blog(番外編)

広告会社に勤める一級建築士の断食経験とその後。

2022年1月1日  元 旦

コロナ禍で、二年和歌山に帰省できていない。

今年の正月はギリギリ行けるかなと考えたが、高齢の母のいる実家に帰っても、気を遣わせるばっかりで、また、ろくにお正月の準備が出来ないことは目に見えていたので、妹と相談して逆にうちに来てもらうことにした。 ~ 当然、おせちを私が準備する前提でである。

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みそかの夜、紅白と行く年くる年を最後まで見た後、本格的に準備を始めた。(余談だが、今回の紅白は前から注目していた藤井風が大活躍のだった。才能豊かで来年が楽しみなアーチストが、年末のテレビでのびのびと活躍しているのを観るとこちらも明るい気分になる。)

ご存知の様に、おせちのメニューというのは、特に煮物系野菜の飾り切りが多い。あと、紅白のかまぼこの結び切りとか。~ あまりそこまでやったことは無いのだが、今回はしっかりやることにした。どうも、退職前後のこの一ヶ月、何事もしっかりやりたい気分が高まっている。

カミさんも息子も寝静まった台所でゴソゴソしながら、カミさんが作ってくれてた年越しそばを食えたのは午前三時過ぎだった。

翌日、お昼過ぎに母を乗せた車が到着。妹とカミさんに盛り付けの指示をして、私はお雑煮のあたためと、お餅を焼くことに専念する。 ~ おせちと言うのは見た目が美しい反面、(冬なのに) 椀物のの様な暖かいものが少ない。で、今回、具沢山の温かいお雑煮というのが、私の考えた目玉メニューだ。

30分ほどで準備が整った。

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あまり考えずにべちゃべちゃ喋るカミさんに少しイラつきながら、あけましておめでとうの挨拶とともに、めでたく揃ってお正月を迎えることが出来た。 ~ 今回は、行かず後家の妹のパートナーもお呼びした。私・カミさん・息子・母親・妹、そしてそのパートナーの6人で囲むお正月の食卓。二年振りに見る母親は、頭はしっかりしてて盛んにおしゃべりしているものの、高齢と持病のリュウマチからくる運動不足で脚が弱っており、ちょっとした段差もなかなか自力ではキツい。来年からも、許す限りお正月はこのスタイルで続けようと思う。~ 息子がいつまで付き合ってくれるかな?

和歌山のお酒「黒牛」をぬる燗にして、のんびりと色とりどりのおせちをいただいていると、ようやく落ち着いてこの一ヶ月の活動が総括できた様な気がした。これで何も思い残さず 4日から新しい職場に行けるな、と、満足感が満ちてきた。

                            ~ みんな、ありがとう。

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みなさま、あけましておめでとうございます。

今年もこのblogをよろしくお願いいたします。

12月24日 最終出社日。

今日が一応の最終出社日だ。(正確には、PCと社員証の返却手続きにもう一度出社するのだが、デスク回りでもう同僚と会って話すことはもう無いだろう。) お昼過ぎに保険証とスマホを返却し、17時半の終業・お別れの挨拶の時間を待つ。 

机ももう空っぽだ。もう、何もすることが無い。時々挨拶に来てくれる同僚の相手をしていると、業務終了の時間がやってきた。泣いても笑ってもこれが最後、ビシッと決めて終わりたいと願いながら、挨拶に立つ。リモート勤務の人もいるので、私の挨拶はTEAMSで中継される。 

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挨拶の内容は、

・この一ヶ月を「青春プレイバック月間」と決めて、着るものもわざと新入社員時代のものを着てみたりして過ごした。今日の恰好もそうだ。

・一ヶ月でいろいろ思い出したこと、それを話してお礼を言ってお別れの挨拶にしようと思っていたが、考えが変わった。

・出来れば先輩としてこうあってほしいと思っていることを皆さんにお伝えして、終わりの挨拶にしたいと思う。

・一つ目 : 勉強しましょう。自分の専門性を深める様にしてください。

・二つ目 : 専門性を深めると人間タコツボ化しがちだが、そうではなく、

      出来るだけ多くの人と一緒に過ごす時間を作ってください。

・三つ目 : 私より先に死なないでください。

・死なない元気な体で、専門性を掘り下げる孤独な行為と、広い人間関係、これを融通  

無碍に行き来できる ~ そういうスタイルの人が増えれば、これからも会社は安心だ

と思います。

・今日で私は去りますが、会社をよろしくお願いします。

                          と言ったようなものだった。

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泣くまいと思っていたが、「私より先に死ぬな」と言ったところで、先立って行った方たちのことが思い出され、ちょっと声が上ずってしまった。

同期の女性から花を渡され、彼女に送り出されて会社を出た。

最終出社日、あえて寄り道はせずにまっすぐ家に帰りカミさんと過ごすことにする。

いろいろ不満が無かったわけではないが、総じて恵まれたビジネスマン生活が送れた。 ~ その環境、人と運気の巡り合わせ、私を取り巻いていたもの、今、取り巻いているものすべてに感謝したくなった。

12月17日~18日 ツアー番外編

今日、関西へ帰る。最初の計画では、夕方までにゆっくり帰って、今晩大阪で予定されている飲み会に参加する予定だったが、疲れているからか一刻も早く帰りたくなってしまい、朝食もそこそこに大阪なんば行の最新型近鉄特急"火の鳥"に乗り込んだ。

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普通車だが、シートや前の座席との間隔が広くて心地良い。

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お昼過ぎに自宅に到着。重い荷物を下ろし、洗濯物をかごに放り込むとホッとした。カミさんの話では、顔が腫れてて結構ひどい表情だったらしい。自ら掘った墓穴というヤツだが、それでも行ってよかった。お世話になった方たちに感謝を伝えることで、気持ちにケジメが付いた。

今日は、たまたま東京から大阪に出張してきている中学時代の友人と会う。再就職のお祝いをしてくれるらしい。更にそれに合わせて、ふるさと和歌山からも、もう一人参加してくれる。彼がその日のうちに和歌山に帰るので、ホテルの外でお店探す時間ももどかしく、部屋がツインのシングルユースで広かったこともあり、結局ホテル下のデパ地下でマシめのお弁当を買い、私がスパークリングワインを持ち込み、まったりと部屋飲みとあいなった。31階の窓からは、夜景がキレイである。年末のライトアップされた御堂筋が見えた。

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気の置けない仲間とウダウダと過ごす。昔話や、今やってる仕事の話なんかをしながらワインが三本目に入ったところで、疲れが出たのか猛烈に眠くなる。ベッドが二つあったこともあって、一人を和歌山に送り出した後、10時前に部屋で吸い込まれるように寝てしまった。

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翌朝、夜明け前に目が覚めた。窓の外には朝の冷気に包まれた冬の街が、グレートーンで浮かび上がっている。

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友人はまだ寝ている。

明けていく空と街を見ながら、この一ヶ月の事を思った。断食による身体のリセット、感謝を伝えるご挨拶廻りによる精神的ケジメ、やり終えた。

 

 ~ 一週間後のクリスマスイヴには、38年間勤めた会社で退職の挨拶をすることになる。 

 

・何を話そうかな。出来れば、センチメンタルにならずにビシッと決めたいな。

・しかし、ちょっと疲れたな。明日の日曜は一日断食をしよう。

・その前に今日一日はお粥で過ごして、夜は銭湯に行き早めに寝よう。

・月曜は出社日なので、出来るだけ元気な状態で出社できるようにしよう。

・何といっても来週一週間で机の中のものを片づけ、私物はまとめて自宅に送らなければならない。

・社貸与のスマホとPCのデータを整理して、新しいスマホへのアカウント移行などなども済ませなければならない。

社員証を返却しなければならない。

・保険証も返却だ。来週早い時点で病院に行き、薬を多めにもらっておかなければ。

・しかし、このタイミングでコロナが下火になったのは僥倖以外の何物でも無いな。正月まで持つかな。今年は里帰りが出来るかな。

・あ、転職のご挨拶状発送しないとな。印刷はいつ上がるかな。

等などと、ゆっくりと明るくなっていく大阪の街を見ながらとりとめもなく考えた。

12月16日 ツアー七日目

朝から名古屋へ移動、お昼前に到着した。重い荷物をホテルに預けて、名古屋が誇るアカネ屋珈琲店で、またまたサンドイッチとコーヒーの昼食。有意義な一週間だったが、やはり疲れている。チェックインの時間にホテルに戻り、部屋でウダウダと夕方まで過ごす。

16時半、中部支社の入っている名古屋駅前のビルに到着。私が働いていた2002年~05年は、栄に自社ビルがあったが売却して賃貸のここに移り住んだ。

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一階にブランドショップもあり、ビル全体が華やかだ。自社ビルだとなかなかこういう風に行かない。執務フロアの窓からはライトアップされた名古屋城が見えた。

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夜は栄のステーキハウス。ここも、思い返せば1989年に世界デザイン博が名古屋で開催されたとき、現場帰りに良く通っていたお店だ。

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使っているお肉がいいからか、とにかく美味しい。行ってみると、果たして女将さんが私の事を覚えてくれていた。ここで働き始めて、もう40年になるらしい。

ツアー最後の夜のお相手は、私が中部支社から関西支社に帰任する際、その後を引き受けてくれた女性部長。 ~ モットーはいっぱい働いて、いっぱい遊ぶこと。変わったお友達の話など、とにかく話が楽しい。東京で聞いた、亡くなった、病気だ、懲戒処分だ、と言った話の真逆で、いっぱい笑ってエネルギーをもらった。やはり、年齢を重ねると女性の方が元気で、人生の楽しみ方を知っている様に思えた。

二軒目に飲みに行って、九時過ぎにお開き。こうして、私のご挨拶廻りツアー最後の夜が終わった。明日は、大阪なんばでツアー番外編である。

12月15日 ツアー六日目

朝から、昔独身時代に住んでいた百合ヶ丘と、新婚時代~関西転勤が決まるまでの半年間だけ住んでいた玉川学園前の今の様子を見て廻る。複々線化で近代化された小田急線だが、多摩川を超えて向ヶ丘遊園あたりから先は昔とそんなに変わっていない。住んでいたアパートやマンションもそのままだった。

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午後からは、大学時代からお世話になっていた、下北沢にあったバーのママのところにご機嫌伺いに行く。今年80才になり、数年前にお店の方は人に譲って引退した。今では妹さんと息子さんの三人で経堂に一軒家を建てて暮らしてらっしゃる。

昔からオシャレなおば様で、何事にも力の抜き加減と言うのを理解してらっしゃるカンジがあった。田舎者でついつい頑張ってしまう私のよきアドバイザーだ。ニューヨークが大好き。二度ほど現地でフラットを借りて住まれていたこともある。大学の先生にお会いした時のことを書いた際にも述べたことだが、ママも非常に東京的な方である。

下北沢と言うところは、演劇の様なサブカルが集積していて集客が出来ている一方で、住宅街も近いので、固定化した客層がいる。小田急線沿線に住む若者が下宿に帰る前にちょっと途中下車、というパターンだ。私は大学時代仲の良かった友人のアパートが隣の東北沢にあり、その頃彼と良く通って話相手をしてもらっていた。味のある大人のかっこいいママだ。このママのファンを話し相手に固定化した客がバーに集まる。みんな小田急線沿線住民。顔見知り。

1990年代、バブルが終わり殺人的な忙しさも一服し、でもバブル時代の仕事の経験を生かして丁寧にレベルの高い仕事に取り組める様になった。百合ヶ丘に引っ越したのを機に、再びこのお店に通いだし、その顔見知りの一端に加えてもらえるようになった。~ 会社と無関係な顔見知りがいるお店と言うのは、極めて居心地がいい。会社では出来ない恋愛の話も、おおっぴらに相談できる。精神的につらいときもずいぶんと助けてもらった。

駅前で落ち合い、すずらん通り沿いのモダン和風なお蕎麦屋さんで昼食、その後、地下のライブハウス風のお店でコーヒーを飲みながらママとお話しした。

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さすが、お店のチョイスがGoodである。やはり、私のかっこうが大学時代に戻った様だという話になる。そして、その時の友達の様子、最近の若者について、など。ママは今でも世田谷から青山の美容院まで歩くほど元気だ。

ご自宅に伺い、お茶をいただきながら今後の私の身の振り方、再就職についてなどを報告した。帰り際にお祝い代わりにということで、最近ママが読んで大変良かったという本をプレゼントしてくれた。 ~ 主人公が建築家だ。

今回のツアー・東京最終日にこのママとの面会を持ってきた。会社や大学と関係ない、カジュアルな関係性で成立していた会話といったものをもう一度追体験してみたかった。そして、頭をよぎったのはやはり "オシャレでありたい" という事だった。~ 頑張りすぎない、待つことが出来る、でも、それって実はパワーがいることなのだ。

ホテルに戻る前にコーヒーショップでサンドイッチとコーヒーをいただき、それを夕食代わりにした。連日のお酒で疲れた胃を休ませたかった。明日は名古屋だ。

12月14日 ツアー五日目(その2)

夜、東京本社時代の最後に一緒に仕事をした新入社員 ⇒ 今、営業部長と新橋で会食。

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昔からノリのいい、ちょっとチャラめのキャラだったが、今ではそれに業界人らしいクリエイティヴ・センスが醸し出されており、味のある営業部長になっていた。音楽出版会社とネット系の大手コンテンツ制作・配信会社を担当している。スキンヘッドで、50才になった今でも現役のパンクロッカーでもある。今回、1996年の関西異動以来、25年ぶりの再会である。

しかし、昔の人間関係というのは会えばすぐ再生できる。彼の方も、もう少しくたびれた私を想像していた様で、思ったより印象が若々しかったらしく、ノリよく楽しい時間を過ごすことが出来た。

今回のツアーでは、38年前の新入社員時代を意識して、当時はやっていたDCブランド系の黒ずくめな恰好をしていたが、それも評価してくれた。流行の先端を行くクライアントを担当している広告会社の営業部長から、年をとっても現役感バリバリの印象を持ってもらえたことは嬉しかった。

彼もおごってくれた。今回、後輩におごられてばかりだ。

別れ際、新橋の人込みの中で、ずっと私が去るのを見送ってくれた。ありがとう。宝石の様にキラキラした時間だった。

12月14日 ツアー五日目

今朝は西府の施設に入所している義理のお母さまに面会に行く。コロナもあって、数年間お会いできていなかった。昨日買っておいたお花を手に横須賀線に乗り込む。途中、武蔵小杉で南武線に乗り変えるのだが、ここも最近話題になっている様にタワーマンションがバンバン建ち、集積度が高い街になっている。

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工事中の駅の中を数100m歩いて乗り換える。

昨日までとは打って変わり、小雨がパラつく寒い朝だ。面会の時間に施設に着く。事前に話をしておいたので、面会はスムースだった。お母さまも元気だった。ただ、コロナ対策だろうが玄関から中に入れてもらえず、風防室に置かれたアクリル板が置かれた対面テーブルでの面会だ。風通しを良くするため扉も開けっ放し。お母さんも寒いので、10分くらいでひきあげた。それでも、元気そうな写真を撮ってカミさんに送る。

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午後からは大学時代の恩師に面会。私が大学に通っているときから、教授として教鞭をとりながら、神宮前に自分の設計事務所を構え現役の建築家としても活躍してらっしゃった、いわゆるプロフェッサー・アーキテクトだ。日本建築学会賞受賞者、今は早稲田大学の名誉教授である。今年87才。(ちなみに数年前惜しくも火事で焼失した宍戸錠さんのご自宅は先生の設計だった。)

希望していた大学院進学が出来ず就職を考えていた時、先生が「設計事務所とかじゃなくて、広告会社とか考えてみたらどうだ。」とアドバイスをくれた。~ 最初はピンと来なかったが、帰りの電車の中で考え、降りる時には広告会社を受けることに決めていた。建築設計には無い広いフィールドで仕事ができそうだったし、何より仕事の自由度が圧倒的に高そうだったから。 ~ 実家に連絡して、リクルートスーツを用意し、文系の学生に混じって就職面接に臨んだ。さいわい、今の会社に拾ってもらえた。

その後、広告会社に勤務しながら建築士の資格を取得、店舗、ショールーム、企業博物館の様な広報施設、博覧会のパビリオン、テーマパークのアトラクション施設まで、「広告としての建築」に取り組むことになる。ロンドンオリンピックの企業パビリオンなど、個人事務所で設計をしていたらとても経験できない仕事にもたずさわれた。それもこれも、先生が広告会社への就職を勧めてくれたのがキッカケだった。~ 私の人生でのターニングポイントを作ってくれた大恩師だ。

先生の事務所に伺うのは大学4年以来で、卒業設計のエスキスを見てもらった時も今日と同じ様な冷たい雨が降る日だった。窓の外のコンクリート打ちっぱなしの壁に垂れる雨だれが作る線がきれいだと思った。こうしていると、当時の気分が思い出される。

先のお墓参りに伺った上司の方もそうだが、先生も含めて、東京でないといないタイプの方というのが確実に存在する。鋭い勘とセンス、作るもの、考え方、仕事のフィールド、生き方、都会の豊かな消費生活とインテリジェンスを背景にした"スタイル"がある。関西には無い粋なストイックさ、そしてそれは無条件にかっこいい。~ 雨だれの垂れる壁を見ながら、多分支離滅裂なことを喋っていたであろう大学生の私に、先生はリートフェルトの椅子に座って、全てをくみ取ったうえでいつも的確なアドバイスをくれた。

広告会社で建築に取り組んでの一番の違いは「時間」に対する取り組みだった。普通、建築設計と言うのは「空間」の構成に重きが置かれる。しかし、広告としての建築はもっとイベント的なもので、その施設を入った来場者にスポンサーないし商品に好意的なイメージを持ってもらうことを目標としている。勢い、プログラムは時系列化され、カスタマージャーニーと言われる態度変容を目論んだ演出が、建物の導線や滞在時間にそって展開される。つまり順序があるのだ。そして、そこでは通常の建築には無い数々の演出手法が採用される。映像、音響、照明、ぴったりの商品推奨のための双方向の診断システムやVRなんてのもあるし、アテンダントの接遇やコスチュームイメージなんかもその演出イメージに大きくかかわってくる。それらを統合し、来場者に提供される体験設計が求められる。広告会社に就職しなければ持てなかった視座だ。

こういった知見を得るきっかけを作ってくれた先生には今回のツアーで真っ先にお礼を言わねばならないと思っていた。本当に感謝している。別れ際、ガッシリと握手をしてくれた。 ~ 「やりがいのある仕事に、これからも取り組め」と。

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先生、いつまでもお元気でいてください。